今日はジュリーにとって干支の6廻り目の誕生日。最近では新型肺炎で亡くなった志村けんさんの代役を務めることが決まり、俳優としての一面がクローズアップされているが、今のジュリーは歌手、俳優、プロデューサーといろんな顔を持つオールラウンダーだ。1967年のデビュー以来、彼が日本の芸能界にもたらした功績はとてつもなく大きい。とりわけミュージック・シーンにおける彼の存在は、イノベーターであり、パイオニアであり、カリスマである。だが、彼が1950年代に不良の音楽として登場したロックを、我が国の大衆音楽に根付かせたレジェンドについては何故か語られていない。
若者文化が萌芽していく60年代にあっても依然、日本の大衆音楽の主流は歌謡曲で、ロックはキワモノ以外の何物でもなかった。そんな中、ザ・タイガースのボーカリストとしてデビューしたジュリーは、そのルックスの秀逸さゆえに一過性のアイドルと見做され、ロック・シンガーとして正当な評価を受けることがなかった。だが70年代に入りソロになった彼は、圧倒的なビジュアルとパフォーマンスでヒット曲を連発し、キワモノ扱いした一般大衆にそのパワーを見せつける。彼をリスペクトするフォロワーたちが次々と歌手デビューし、ロックは大衆音楽のメイン・ストリームとなっていったのだ。だが驚くべきことに、ロックを一般大衆に認知させた功績については、ジュリーではなく、はっぴいえんどやキャロルなどの自作自演バンドにスポットが当てられている。それはおそらくビートルズに代表される60年代のロック・ミュージシャンのスタイルをその定義としているからであろう。滑稽なのは60年代後期に、ロックは商業主義を否定する音楽だと意味不明なことをほざいて、大手プロダクションに所属していたジュリーに避難の目を向けていたリスナーが大勢いたことだ。彼らは70年代初頭、金儲けのために我が国に大量に雪崩れ込んだ海外のロック・ミュージシャンたちをどう評価したのだろうか(笑)。
だが、ロックが誕生したのは1950年代である。その不良の音楽が我が国に入ってきた時、世間はそれを爛蹈ビリー瓩噺討鵑澄専属バンドをバックに熱唱する当時のロカビリアンたちのパフォーマンスを、ソロになったジュリーは独自のスタイルにコンバートした。1973年、彼は元ロカビリアン加瀬邦彦の作った軽快なロックン・ロール「危険な二人」で、当時大衆音楽の頂点の一角だった「日本歌謡大賞」を受賞。この時の視聴率は48.5%と歴代最高を記録した。まさに一般大衆がロックをメイン・ストリームとして認めた瞬間であった。4年後彼は、加瀬が一時期同じバンドにいた大野克夫の手による「勝手にしやがれ」で「日本レコード大賞」を受賞する。この時の視聴率も50.8%と歴代最高を記録。ジュリーが大衆音楽の頂点に立った映像は、レコード大賞史上、最も多くの視聴者が目の当たりにしたのだった。こうして沢田研二というブランドが大きくなるにつれ、映画や舞台など様々なメディアへと表現の場が拡がっていったため、彼のロック・シンガーとしてのイメージは次第に薄まっていく。結果、彼が一般大衆に日本のロックを認知させた功績も薄まっていったに違いない。
 今年の正月ライブ。ジュリーはギタリストの柴山和彦と登場するや、オープニングからステージ狭しと駆け回り、圧倒的な声量でパワフルに歌う。その迫力は、まるで年齢を感じさせない。MCで彼は八十八歳までステージを続けると宣言した。俗に「現役」と言うが、彼のステージには「現役」とはいつまでも成長し続けることなのだというメッセージが込められていた。だがそのスピリットこそが、ロックなのではないか。ライブのタイトルどおり、ジュリーは今も正真正銘の爍劭錬達烹釘勠瓩世辰拭
6月25日

(1968年二十歳のバースデー)