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今から遡ること48年前の1970年5月9日。大阪万博開催直後の万博ホールで人気歌手を一堂に集め、「全国ヤング歌謡フェスティバル」と題する一大イベントが開催された。手掛けたのは、当時刃向うものなしの渡辺プロ。このフェスティバルでは事前に出場歌手の人気投票を行い、その最高得票獲得者に当日の「グランプリ」を与え、さらに当日の歌唱が最も優れていた歌手を会場審査で選出し、「最優秀賞」を与える企画がなされていた。そのため1970年が明けると、明治製菓をスポンサーに同名の歌番組が放送され、毎回人気投票の中間発表が行われていたのだった。渡辺プロにとっては、衆目の集まる万国博覧会というメイン・ステージで、「人気」と「実力」の両面から企画された「グランプリ」と「最優秀賞」の両賞を所属タレントに受賞させることが目的だった。当日の会場審査で選出された「最優秀賞」は「愛は不死鳥」を歌った布施明で、この受賞を機に彼は本格派実力歌手として認知されるようになる。一方、明治製菓をスポンサーとして行われた人気投票はタイアップ・タレントであるザ・タイガースが本命で、意に違わず中間発表ではトップを独走していたのだった。だがこの人気投票の最終結果で異変が起きた。それまで3位に着けていたスパイダースがタイガースの得票数を一気に上回り、グランプリを獲得したのである。ファンクラブの票を温存しておき、締め切り間際に一斉に投票させた当時スパイダクション社長田辺昭知氏(現:田辺エージェンシー社長)の戦略の勝利だった。この時、プロダクションを立ち上げたばかりの田辺氏が業界最大手の渡辺プロに対し一矢報いたとあって、関係者は一様に「昭坊、よくやった!」と大喝采を送ったのだ。その田辺氏が今回のSMAP騒動で離反組の受け入れを拒んだ。やはりジャニーズ事務所は芸能界のロスチャイルドに違いない。