タイガース

 1970年8月22日、タイガースは田園コロシアムでライブ・コンサートを行った。その5ヶ月後には武道館で解散コンサートを行っているので、このライブはさしずめその予行演習のようなものだったのだろうか。エンディングの挨拶で沢田研二は、この日のライブにこんなに大勢のファンが観に来てくれるとは思ってもみなかったと声を詰まらせた。それだけ彼らの人気は下降していたのだった。
 田園コロシアムのライブから遡ること2年前、タイガースはまさに大衆音楽の頂点に居た。オリコン・シングルチャート年間第1位、武道館での新曲発表、主演映画の公開、野外ライブ・コンサートと、1968年のタイガースは、それまでの国内ミュージシャンの常識を遥かに超える大活躍をみせた。演歌やフォークなど、あらゆるジャンルの楽曲が百花繚乱の68年にあって、彼らの存在だけは別格だった。マスコミは連日、彼らの一挙手一投足を報じた。大衆はまるで魔法をかけられたように、ザ・タイガースという大いなる祭りに酔った。だが翌69年、加橋がグループを去り、大衆は魔法から覚めた。そして祭りの後にやって来たのが岸部四郎だった。
 もう5年以上も前のことになるが、ある会合で四郎の中学校時代の同級生と話す機会があった。その同級生は近鉄百貨店の幹部だったが、彼の話によると中学校時代の四郎は、いつも周囲を笑わせる人気者だったそうだ。英語の時間に英訳が回ってくると、四郎はまるで違う話を創作して皆を笑わせていたらしい。狠ること瓩砲けては彼の右に出る者はいなかったとその同級生は語った。そんな四郎にとって、半ば無自覚なうちに導かれたモンスター・バンドへの加入は、彼の波乱万丈の人生の端緒となった。
 田園コロシアムのライブで四郎が歌ったのがドノヴァンの爛薀譟璽縫↓瓠H爐浪鮖競灰鵐機璽箸任魯献絅妊・コリンズの狎捗佞慮と影瓩魏里辰討い襪、その美しく繊細で哀愁を帯びた声質にはアッシド・フォークの代表ともいえる爛薀譟璽縫↓瓩ぴったりだ。沢田を除いて、他のメンバーが披露するソロの中で彼の爛薀譟璽縫↓瓩楼貂欟擦貿るものがある。爛薀譟璽縫↓瓩箸老歃儔箸魑ぜ茲辰申性の名で、この楽曲は、その女性の人生がテーマとなっている。待ち構えている数奇な運命を前に、四郎はどんな思いでこの曲を歌ったのだろうか。