東北地方太平洋沖大地震におきまして被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申しあげますとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し謹んでお悔やみを申しあげます。

最初はインタビュー形式にするつもりだった。
瞳みのる著「ロング・グッバイのあとで」49頁に登場する宇野山和夫氏は、現在、ロックバンド・ザ・ハリケーンのリーダー、ベーシスト、作曲家、舞台俳優、音楽監督、また一口餃子の老舗店のオーナー兼経営者という幾つもの顔を持つ。その温かで深みのある人柄から滲み出る、波瀾万丈を生き抜いてきた力強さ・優しさは人を惹きつけて止まない。思わず宇野山氏の話に引き込まれてしまっていた。
昭和39年、カバーポップスのブームが去ったジャズ喫茶のバンド・ボーイから宇野山氏の音楽人生はスタートする。天性の勘の良さ、物事の本質と要点を瞬時に見抜いてしまう宇野山氏の能力は、ステージで演奏する大野克夫のスティールギター・プレイを一瞬にして自分のものとし、その後スティールギター奏者として身につけたスキルをベース・ギターに活かす。リンド・アンド・リンダースのメンバーとしてメジャー・シーンに登場した時には、既にベーシストとして関西で宇野山氏の右に出る者はいなかった。
宇野山氏自身のブログで分析されているように「ベースに限らず、低音楽器のひとは、地味な人生をいきる。浮ついた考えは持たない代わりに頑固」だそうだ。だがベースギターを極めた宇野山氏の挑戦は尚も続く。日本映画の限界を覚った宇野山氏は、一流のミュージシャンのみが覚知できる「0.5秒の変化」をハリウッドのスクリーンで表現しようと、60才を過ぎてからアクターの世界へと飛び込むのだ。
そんな宇野山氏にとって、明月荘での印象深い思い出は「沢田研二。誰もいない部屋で一人膝を抱えて何時間も座っていた。彼は一日中、人と喋らなくても苦にならない性格のようだ」ザ・タイガースについては「一番になる者には必然性がある。あれだけの粒ぞろいの若者が集まったのは偶然ではなく必然だ。時代という目に見えない意思の働きが、彼等を僅かな間に頂点に押し上げた。だが、それは自分たち以外の意思によってもたらされたもの故、自分たちの個我によって崩れてしまうのだ」と語る。
前座バンドだったファニーズに、ナンバ一番の専属バンドになれるよう取り計らったのは他でもない宇野山氏だ。彼等と宇野山氏の出会いもまた、時代という見えざる意思の働きだったに違いない。
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(写真は2011年3月17日の宇野山和夫氏。隣は友人のめぐまりこさん。今回の震災でザ・ハリケーンのコンサートは主催者側のホテルが自粛した。めぐまりこさんは「三女美祭り」を4月23日(土)ヨシモト∞ホール大阪にて開演。ゲストは藤井隆さん)