「僕のマリー」から10年、沢田研二は「勝手にしやがれ」で1977年の音楽賞を総ナメにし、大衆音楽のキングの座に着いた。沢田はまるで魔法をかけるように、与えられた楽曲を独自の存在感のみで大衆に受け容れさせたのである。それはロック・シンガーとして古典的なボーカル・スタイルを崩すことなく、絶えず斬新なイメージを大衆に与え続けた芸術的とも呼べる表現力の成せる技だった。郷ひろみや西城秀樹といったフォロワー達が彼のスタイルを真似たことで、Wikipediaには下記の記述が成されている。
「PYGは萩原が参加できるときだけその名を名乗り、参加できないときには沢田のバックバンドとして活動した。これがのちの井上堯之グループの前身である。その後井上堯之バンドと名乗り、バンド独自の活動もするが、基本的に沢田の専属のバックバンドとなる。これにより、国内の音楽シーンにおいて、歌手が専属バンドを率いた最初の例となった。」
ソロ・シンガーとしてスタートした沢田の歌唱スタイルに関する表記であるが、この記述では彼がまるで専属バンドを持った先駆者のように書かれている。だが歌手が専属バンドを率いたスタイルは沢田が最初の例ではない。沢田が登場する少し前にブームとなったロカビリーは、歌手達はみな専属バンドを率いていたのだ。ソロになった沢田は、独自のスタイルを、自らがブームを作ったGSより前のロカビリーに戻したのである。沢田はロカビリアンとして第二のブームを生み出したのだ。それは彼がリスペクトする内田裕也や、ソロになって最初のヒット曲を作った加瀬邦彦がロカビリー出身であったことからしても、ごく自然なスタイルだったと言える。
このようにして沢田は、世間がキワモノ扱いしたロック・シンガーとして初めてメイン・ストリームを制した。勢いを駆った彼はレコ大連続受賞に向けて翌78年もヒットを連発する。だがこの1978年こそが、日本の音楽シーンにおいてエポックとなる年だったのだ。この年、ツイスト、サザンオールスターズ、アリス、ゴダイゴといった自作自演グループが大ブレイクする。彼等は、自らが生み出した楽曲とサウンドのオリジナリティを武器にメジャー・シーンに登場するが、そのブレイクを後押ししたのが、この年の1月からTBSでオン・エアされた「ザ・ベストテン」だった。この番組は生放送の強みを活かしリアルタイムでヒット曲を紹介すると同時に、チャート・インした歌手はたとえテレビというメディアを毛嫌いするアーティストであってもしつこく交渉を続け、挙げ句の果て引きずり出し(中には頑強に拒み続けたミュージシャンもいた)、ランキングという誰もが納得せざるを得ない要素をもって、アイドルからロックから演歌からコミック・ソングに至るまであらゆるジャンルの楽曲を、それぞれの垣根を取り払うが如く視聴者の眼前に並べたのである。この番組の成功によって、従来のアイドルとは程遠いミュージシャンであっても、大ヒットを飛ばせば誰もが人気スターになれる時代が到来したのだった。ちなみに翌79年の月刊明星が行ったオールスター人気投票では、ツイスト第2位、ゴダイゴ第3位、サザンオールスターズ第6位、アリス第8位と、自作自演バンドがベスト10を席巻する結果となった。そんな中で沢田が存在感を維持するためには、従来にも増して強烈なインパクトを大衆に与える必要があった。彼が選択したのはサウンドのオリジナリティではなく、メイクや衣装をはじめとしたビジュアルを重視する戦略だった。1979年を境に、沢田の奇抜なステージは、ますますエスカレートしてゆくのだった。
「PYGは萩原が参加できるときだけその名を名乗り、参加できないときには沢田のバックバンドとして活動した。これがのちの井上堯之グループの前身である。その後井上堯之バンドと名乗り、バンド独自の活動もするが、基本的に沢田の専属のバックバンドとなる。これにより、国内の音楽シーンにおいて、歌手が専属バンドを率いた最初の例となった。」
ソロ・シンガーとしてスタートした沢田の歌唱スタイルに関する表記であるが、この記述では彼がまるで専属バンドを持った先駆者のように書かれている。だが歌手が専属バンドを率いたスタイルは沢田が最初の例ではない。沢田が登場する少し前にブームとなったロカビリーは、歌手達はみな専属バンドを率いていたのだ。ソロになった沢田は、独自のスタイルを、自らがブームを作ったGSより前のロカビリーに戻したのである。沢田はロカビリアンとして第二のブームを生み出したのだ。それは彼がリスペクトする内田裕也や、ソロになって最初のヒット曲を作った加瀬邦彦がロカビリー出身であったことからしても、ごく自然なスタイルだったと言える。
このようにして沢田は、世間がキワモノ扱いしたロック・シンガーとして初めてメイン・ストリームを制した。勢いを駆った彼はレコ大連続受賞に向けて翌78年もヒットを連発する。だがこの1978年こそが、日本の音楽シーンにおいてエポックとなる年だったのだ。この年、ツイスト、サザンオールスターズ、アリス、ゴダイゴといった自作自演グループが大ブレイクする。彼等は、自らが生み出した楽曲とサウンドのオリジナリティを武器にメジャー・シーンに登場するが、そのブレイクを後押ししたのが、この年の1月からTBSでオン・エアされた「ザ・ベストテン」だった。この番組は生放送の強みを活かしリアルタイムでヒット曲を紹介すると同時に、チャート・インした歌手はたとえテレビというメディアを毛嫌いするアーティストであってもしつこく交渉を続け、挙げ句の果て引きずり出し(中には頑強に拒み続けたミュージシャンもいた)、ランキングという誰もが納得せざるを得ない要素をもって、アイドルからロックから演歌からコミック・ソングに至るまであらゆるジャンルの楽曲を、それぞれの垣根を取り払うが如く視聴者の眼前に並べたのである。この番組の成功によって、従来のアイドルとは程遠いミュージシャンであっても、大ヒットを飛ばせば誰もが人気スターになれる時代が到来したのだった。ちなみに翌79年の月刊明星が行ったオールスター人気投票では、ツイスト第2位、ゴダイゴ第3位、サザンオールスターズ第6位、アリス第8位と、自作自演バンドがベスト10を席巻する結果となった。そんな中で沢田が存在感を維持するためには、従来にも増して強烈なインパクトを大衆に与える必要があった。彼が選択したのはサウンドのオリジナリティではなく、メイクや衣装をはじめとしたビジュアルを重視する戦略だった。1979年を境に、沢田の奇抜なステージは、ますますエスカレートしてゆくのだった。
コメント
コメント一覧 (17)
ところで「79年の月刊明星が行ったオールスター人気投票」の1位、4位、5位は誰だったのでしょうか?
お教えいただけると嬉しいです。ジュリーは何位でしょうか?
1979年のベストテン・ランキングは以下のとおりです。
第1位 郷ひろみ 58,761票
第2位 ツイスト 49,438票
第3位 ゴダイゴ 39,933票
第4位 西城秀樹 33,923票
第5位 水谷豊 19,815票
第6位 サザンオールスターズ 17,382票
第7位 松山千春 13,371票
第8位 アリス 12,884票
第9位 レイジー 12,671票
第10位 野口五郎 12,464票
ジュリーは第18位で、 3,761票でした。
ちなみに紅白でトリを取った前年は第10位でした。
「月刊明星」だから(アイドルが人気)、多分ジュリーの順位は上位ではないと思っていましたが、想像よりもさらに低かったです。(笑)
前年の1978年はジュリーは第10位でした。10年前にあたる1968年がタイガースの全盛時代ですので、それを思うと彼のアイドルとしての息の長さを感じます。
今タイガースは皆さん様々なご活躍ですね。
ジュリー、サリーは相変らずテレビや雑誌でよく見ます。
シローはたまにバラエティー出てる。
タローはライブ中心のようでCD出されましたね。
トッポやピーは全く見ませんが、ピーは先生で本も出されてますよね。
ジュリーやタローの最近のアルバムに、ロング グッバイという曲があり、ピーへの思いを歌っていて感激です。ピーは知らないでしょうね。
「ロンググッバイ」はジュリーの「ROCK’N ROLL MARCH 」に収録されていますね。
還暦で異様に盛り上がってますよね。
最近、現在の沢田さんを映像で見て、驚きと興味でこちらに辿り着きました。
タイガーズ時代の事は知りませんが沢田さんがソロでメディアに良く出ていた頃の事は記憶しています。
TVの向こうの沢田さんは気の良い関西のお兄さん。でも、歌いだすとカッコいいお兄さん。
そんな印象を持っていました。
沢田さんが関西弁をしゃべると何故かホットした
事を覚えています。
当時はシンガーソングライターと言う言葉がよく聞かれた頃でアイドルと思った事はなく「歌手」と思っていた気がします。沢田さんはとても華やかで「芸能界」その物だった気がします。
沢田さんはファンでなくても楽しませてくれて、TVを観るのが楽しいと思える時代を作ってくれた方だと思ってます。
私はファンでは有りませんが、40年間走り続けている方に敬意を込めて今年行われる史上初のドーム公演が成功する事を祈っています。
コメント有難うございます。
仰るとおり、ジュリーは「芸能界」そのものだと思います。
天職なのでしょうね。
一方、タイガース全盛時代に芸能界の人気をジュリーと二分していたピーは、
現在ある意味「芸能界」とは対極の教育者になっています。
タイガースというグループは強烈な個性の集まりだったのですね。
木暮
二回目のコメントをさせて頂きますね。
当ホームページは、最近更新されていませんが、次回からのトピックは、サリー、タロー、ピーについて述べて貰えたらと思います。
ジュリーについては十分分かりましたので、今度は三人それぞれの歴史が知りたいです。楽しみにしている人も少なくないと思います。
それでは、ご検討願います。
楽しみにしていますね。
ごく最近このブログを見つけました。
ソロになってからのジュリーの変遷もまだまだ続けてくださいますようお願いします。
トッポのことは
テレビで暗い表情が増えて「最近ヘンね」と当時クラスでも話題になりました。ある時裸足で歌っていた(青い鳥)のを見た記憶があります。その後大麻のこともあり脱退(除名とは知りませんでした)もやむを得ないと思っていました。学校でも私の周りでは惜しむ声はありませんでした。
大好きだけどコンサートには行ったことがない
テレビでだけの平凡なファンの記憶です。
この記事にはややズレた内容ですが
いちばん新しい所に書かせていただきました。
今後も楽しみにしています。
今年は強烈な猛暑で、不覚にも夏バテいたしました。
ご期待に添えるかどうか自信ありませんが、更新できるよう頑張ります。
今後とも宜しくお願い致します。
これからも宜しくお願い致します。
コメント有難うございます。
1978年は日本ポップス史上エポックとなるロックが大衆化した年でした。
その時、多感な時期を迎えられて本当にラッキーでしたね。
その後、80年に入って揺れ戻しのようにアイドル・ブームが到来し、後半バブルでわけがわからなくなり、90年代からはインディーズも含めてあらゆるジャンルにスポットがあたり、もはや大衆的という概念が喪失してしまった感があります。
でも今日、好きな楽曲がリアルタイムで視聴できるようになったのは幸福ですね。
ありがとうございます!
それでは、更新を楽しみにしていますね。
他のコメント欄の皆さんも、サリー、タロー、ピーの情報がありましたら教えて下さい。
今になって当時見なかったビデオを見てジュリーのすごさに驚かされます。容姿の良さ、かっこよさ、歌の上手さ、衣装の良さ、芸術性の高さ、エンターテイメントとしての質の高さ。ツイスト、ゴダイゴ、サザンオールスターズ・・この頃テレビにでていた人達と比べると、実は「歌謡曲」だと思って片付けてしまっていたジュリー(チーム)こそが芸術性で別のレベルにいたんだなと今になって気づかされています。
今だからこそ当時のスタイルが新鮮に見えるというのもあるし、彼ら(特に早川タケジ)は時代を先駆けしすぎていたのかもしれませんね。
コメント有難うございます。
タイガース時代も含めてジュリーは時代の先駆者だったと思います。
80年代にジャングルを取り入れたのも彼が最初だったと記憶しています。