ムッシュかまやつが著書「ムッシュ!」の中で「わけのわからないものが突然とんでもないところに出てくるというのが芸能本来の正しいあり方」と書いているように、常に大衆の好奇心を掻き立てるのが芸能の役割であった。
 だがグループ・サウンズが登場した当時はエレキギターが不良とされていた時代で、大衆の価値観の中には「勤勉は善、娯楽は悪」といった概念が根強く定着しており、娯楽を職業とする商業音楽の世界へ参画できたのは極一部の限られた者でしかなかった。また当時は楽曲の制作過程においてもレコード会社、作詞家・作曲家、歌手、芸能プロダクションとそれぞれの役割分担が確立し、今日のようにアーティスト自身がマーケティングまでセルフ・プロデュースすることなど想像すら出来ない時代だった。そしてこのような確立されたシステムから逸脱した歌手や作品は、たとえそれが大衆の支持を多く得たとしても単発的なものと見なされ、一様に色物、際物扱いされたのだった。自作自演の先駆者だった加山雄三の作品でさえも当時は映画スターの余興と評価されたのであり、職業作詞家・作曲家の手によって作られた楽曲を上手に歌いこなす歌手こそが大衆音楽の王道とされたのである。
 またテレビを軸とした数少ないメディアは情報が一方通行で、発信側ではアイドルの年齢詐称のような情報操作や、ブームを一極集中させるような情報誘導が比較的容易に行われていた。だが情報の受け手に甘んじるしかなかった一般大衆は、それ故貧欲に発信者に対して多くを求めたのだった。大衆にとってブラウン管の中の存在は「憧れ」であり、その「憧れ」は、歌って踊れて芝居ができなければならなかったのだ。
 当時の歌手達は、確立されたシステムの中で、職業作家が作った作品をより多くの大衆にアピールするために、大衆が望む虚構を演じ続けていた。そんな時代にザ・タイガースは登場した。だが本当は、時代の方が、一人の男の登場を待ち望んでいたのかも知れなかった。