Page00011960年代を通じて、マスコミを賑わせた言葉に「前衛」というのがある。この言葉の意味はWikipediaによると
 「avant-garde(アバンギャルド:フランス語)の和訳。本来は軍事用語で「最前線」の意。現状に対して変革を志向し、時代の先端に立とうとするような立場・姿勢のこと。思想、文学、美術、政治など、様々な分野で用いられる。「前衛的」という使われ方もされる。ただし軍事用語を援用したことからもわかるとおり、「何がしか(旧世代に属する芸術、保守的な権威、資本主義体制など、様々なもの)への攻撃の先頭に立つ」というような、政治的ニュアンスを含んだ言葉であり、明確な芸術運動が現れなくなった70年代以降はあまり使われなくなった。」と記されている。
 グループ・サウンズの登場は、当時の旧世代から見れば、まさに「前衛的」であった。だが大衆が彼等を「前衛的」と認めたのは、そのサウンドにおいてではなくルックスやファッションにおいてであった。それはグループ・サウンズがビートルズやローリング・ストーンズといった海外のアーティストの模倣を出発点としていたにも拘わらず、音楽的には何ら歌謡曲の域を出ていなかったからである。それ故マスコミやプロダクションは、グループ・サウンズを「音楽」ではなく「風俗」として位置づけることで商業的成功を収めようとしたのだった。
 そんな中、タイガースによって発表された「ヒューマン・ルネッサンス」は、グループの中で最も「前衛的」だった加橋が評価したように、グループ・サウンズの音楽的方向性を大衆に問いかけた意欲的な作品であった。だが公式的なデータは確認できないが、このアルバムは、業界に革命をもたらすほどの商業的セールスには繋がらなかった。そのためピークに達したGSブームを下落させた要因であるかのように扱われたのである。
 アルバム発表からほどなくして発売された月刊明星1969年3月号では「グループ・サウンズはいま軌道修正ちゅう」という特集の中で「ビートを忘れたGSは捨てられるだけ!」と題して「−グループ・サウンズはこのごろ初期のようなナマナマしい迫力を失ってきているのではないか−昨年秋、タイガースが「廃墟の鳩」を発表したころから、一部でこんな声が出てきている」といった記事が掲載されている。
 大衆はグループ・サウンズに音楽性など求めてはいなかったのだ。同時期「失神」を売り物にしたグループに注目が集まったように、タイガースがいくら音楽的チャレンジを試みようとしても、グループ・サウンズは依然「風俗」としてしか評価されなかったのである。加橋が脱退後の手記で「ヒューマン・ルネッサンス」こそがタイガースの唯一の仕事であり、アルバムの支持者だけが真のタイガース・ファンであると語ったのは、自らがアーティストとして譲れない誇りを持っていたからだろう。
 だが、いくら崇高なコンセプトを持っていても一般大衆に支持されない限り商業音楽は成立しない。理想とする音楽が多くの大衆を魅了する「エンターテインメント」と成り得るには、「前衛的」ではなく「革命的」なパワーが必要だったのである。そして逆に、「風俗」であれ何であれ、多くの大衆の支持を得れば「エンターテインメント」として評価されるのがビジネスの世界なのだ。そのことを理屈ではなく感覚として身につけていたのが、僅かな期間であるが他のメンバーよりも先にプロの世界に身を置いていた沢田研二だった。