
この席上で沢田は「回り道だと言われても、やるだけです。」とその決意を語っている。彼にとってPYGへの参加は、ソロとして独立する前にやらねばならなかった、いや是非ともやりたかったセッションだったのだ。
かつてタイガース全盛時代に、沢田は「一人前の歌手として認められるように努力している」と言った内容の発言をよく口にしていた。その度にマスコミは「ジュリー独立」をまことしやかに書き立てたのだが、彼の真意は「独立」にあったのではなく、自らがアイドルとして人形のように扱われていることへの反発と同時に、他のメンバーに向けて、お互いが一人前のプレイヤーとして認められるように努力することを促したコメントだったのだ。そんな彼にとって、タイガースではついに実現することの出来なかった願いが、ようやく叶えられたのである。
60年代も後期になると、アル・クーパーを始め海外のロック・ミュージシャン達の間でセッションがブームになっていた。このような海外のムーブ・メントにいつも敏感だったのが、マージー・ビートを日本に持ち込んだロック界の草分け、ムッシュかまやつだった。彼は同じグループの井上尭之やカップスのミッキー吉野等とユニットを作り日野皓正等とセッションしたり、また70年8月に田園コロシアムで行われたタイガースの野外ライブにゲスト参加したり、岸部兄弟のアルバムに楽曲を提供したりと、自らのグループの枠を超えて幅広く活動していたのだった。新グループ結成にあたり、コーディネーター役を担った中井國二氏は、そんな彼に白羽の矢を立て、井上尭之と大野克夫に新グループへの参加を促すよう依頼したのだった。後日ムッシュは「自分もメンバーに加えてもらえると思っていたのに、蚊帳の外に置かれて悔しい思いをした」と語っている。だがこのコメントは、彼の音楽に対するスタンスからみれば頷ける部分もあるが、ミュージシャンとしての存在感を考えれば多分にリップ・サービスも含まれているように思える。
さて、ナベプロはPYG結成に当たり、新たに「渡辺企画」というチームを立ち上げ、全面的にバックアップする体制で臨んだ。まさにメンバーにとって「鳴り物入りの」再デビューとなったのである。
音響機材のセッティングからレコーディングに費やした時間まで、あくまでも彼等主導でプロデュースされたデビュー・シングル「花・太陽・雨」は、1971年4月10日にリリースされた。
「よろこびの時、わらえない人」という哲学的な歌詞で始まり、サビでは井上尭之のギター・ソロが魂に響く、後世に残るはずの名曲は、なんとオリコン・チャート最高位30位止まりだった。その背景には60年代とは完全に異質な、新たな時代を迎えようとしていた我が国のミュージック・シーンが大きく横たわっていたのだった。
コメント
コメント一覧 (10)
ショーケンとジュリーが同じステージ、同じバンドにいることが、とても不思議な感じがしました。音的には全く問題ない出来でした。なんと贅沢なグループだろうという感じでした。
ステージでの曲目は、あまり覚えていないのですが、メジャーな曲ではなかったような気がします。
PYGの路線は中途半端だったのかもしれませんし、時代の流れについていけなかったのかも知れません。
いいバンドだっただけに、残念です。
時の力というものは、とても大きいもので、ジュリーや
ショーケンの魅力を合わせても勝てなかった・・。
そんな気がします。
当時、タイガースのファンでしたが、解散の頃には冷ややかな目で見ていました。
タイガースのお陰で、海外のロックを知り、徐々にそちらに興味が移っていった高校生でした。
アイドルを脱皮しようとしているタイガースより、日本では日比谷野音などに出ている
いわゆる日本のロック創世記のロックバンド達に興味が移っていました。
ですから、GS主要メンバー集大成のPYGのデビューは当時「な〜んだ、がっかり!」でしたが、
今となってみると、そしてこのブログを読むと、複雑な思いです。
最後の一行の「新たな時代を迎えようとしていた我が国のミュージック・シーン」のくだり、
次回を暗示させられ、楽しみにしています。
PYGでのジュリーとショーケンは、何か遠慮しあっているような感じで、それがかえってお互いの存在感を薄めているような印象を受けました。
個人的には「花・太陽・雨」は大好きです。
サリーの詩も最高ですし、イノやんのギター・ソロも絶品ですしね。
この曲を、もっと世に知らしめる手立てはないものでしょうか。
PYGの『SUNDAY DRIVER』、『JEFF』、『おもいでの恋』の3曲って誰のソロかわかりますか?
そうだったんですかo(^-^)o
大野さんと井上さんがソロとってたんですね。
ずっとジュリー?ショーケン?て悩んでいたんです。
これですっきりしました。ありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。
仰るとおり、PYGはそれぞれのメンバーにとっても通過点であったように思います。グループとしては自然消滅のような形で消えていきましたが、その後ジュリー、ショーケンは言うに及ばず、堯之さん等も独自の音楽ワールドを展開してメジャー・シーンで活躍しましたものね。