1970年3月20日、山上路夫作詞・クニ河内作曲による「都会」がリリースされた。この曲はナベプロ主催の一大イベント「全国ヤング歌謡フェスティバル」の参加曲としてプロモートされる中、かろうじてオリコン・チャート10位にランク・インする。その「全国ヤング歌謡フェスティバル」は5月9日、万博ホールにおいて開催され、当日の出場歌手は以下の顔ぶれであった。
 いしだあゆみ/伊東ゆかり/ヴィレッジ・シンガーズ/内山田洋とクールファイブ/奥村チヨ/オックス/久保浩/西郷輝彦/ザ・ジャガーズ/ザ・スパイダース/ザ・タイガース/ザ・テンプターズ/ザ・ブルーインパルス/ジャック・アンド・ベティ/水前寺清子/高田恭子/富田ジョージ/中村晃子/橋幸夫/ピーター/フォーリーブス/藤野ひろ子/布施明/舟木一夫/ブルー・コメッツ/三田明/宮本哲也/森進一/ロス・パリエンテス/司会:ハナ肇/吉村実子
このフェスティバルでは事前に出場歌手の人気投票を行い、その最高得票獲得者に当日の「グランプリ」を与え、さらに当日の歌唱が最も優れていた歌手を会場審査で選出し、「最優秀賞」を与える企画がなされていた。そのため年初から明治製菓をスポンサーに同名の歌番組が放送され、毎回人気投票の中間発表が行われていたのだった。ナベプロにとっては、衆目の集まる万国博覧会というメイン・ステージで、「人気」と「実力」の両面から企画された「グランプリ」と「最優秀賞」の両賞を所属タレントに受賞させることで、プロダクションとしての層の厚さを見せつけるのと同時に、60年代から70年代に入っても「ナベプロの時代」が続くことを内外に印象づける絶好の機会であったのだ。
当日の会場審査で選出された「最優秀賞」は「愛は不死鳥」を歌った布施明で、この受賞を機に彼は本格派実力歌手として認知されるようになる。一方、明治製菓をスポンサーとして行われた人気投票は、前年の4月に終了した「GS人気投票」と同じようにタイアップタレントであるタイガースが本命で、意に違わず中間発表ではトップを独走していたのだった。だがこの人気投票の最終結果で異変が起きた。それまで3位に着けていたスパイダースがタイガースの得票数を一気に上回り、グランプリを獲得したのである。ファンクラブの票を温存しておき、締め切り間際に一斉に投票させた田辺昭知社長の戦略の勝利だった。スパイダクションを立ち上げたばかりの田辺氏が業界最大手のナベプロに対し一矢報いたとあって、関係者は一様に「昭坊、よくやった!」とやんやの喝采を送った。しかし当の田辺氏にとってはさして大騒ぎするほどの事ではなく、ちょっとした座興に過ぎなかったに違いない。一見トリッキーに見え、その実マーケティングのセオリーを外さない田辺氏のマネジメントについては後述するとして、ナベプロサイドはタイガースを無冠で終わらせる訳にはいかず、急遽「フェスティバル賞」なるものを増設し、彼等に与えたのだった。
だが業界関係者にとって後々に語り継がれることになるこの「タイガース人気投票敗北事件」も、当時の一般大衆にとっては加橋の起こした「大麻事件」に比べれば遙かに話題性の低い出来事であった。この年の12月にテンプターズが解散。そしていよいよタイガースも解散へのカウントダウンを始めるのである。