1969年4月5日、新生タイガースの第1弾シングル「美しき愛の掟」がリリースされた。このドラマチックなタイトルを持つ楽曲は、作詞をなかにし礼氏、作曲を村井邦彦氏が担当した。「ヒューマン・ルネッサンス」ではなかにし氏はすぎやまこういち氏と、村井氏は山上路夫氏と組んだが、今回はその両氏のコンビによる作品となった。
当時マスコミはこのシングルリリースにあたって、加橋除名により再度レコーディングし直して発売したと報じていたが、リテイクされたのはテレビでオンエアする際の口パク用のオケで、レコーディングは加橋在籍の2月5日に一度しか行われていない。プロダクションサイドは、この「美しき愛の掟」については、あくまでも新生タイガースによる作品であることを強調する一方で、B面の「風は知らない」は「加橋最期の曲」としてアピールし、彼のファンをも取り込む戦略を採ったのだった。
前年末に打ち出された晋社長の方針どおり、この「美しき愛の掟」はスター沢田研二を全面に押し出した作品となった。コーラスやハーモニーといった部分が殆どなく、サビとエンディングにわずかにバッキングコーラスが入るが、これも誰が歌っているのか判別できないもので、加橋がビブラートを効かせてハモる「風は知らない」とは全く対照的な作品であった。だが、タイガースがコーラス・グループではなく、ボーカリスト沢田をフューチャーしたロックバンドと定義したとき、まさにこの曲は、その到達点とも言える仕上がりをみせている。
ハイハットシンバルに促されるようにリフレインするギターのイントロで始まり、ミディアムスローのバラードからテンポアップする沢田のボーカルに絡みつくように、ギターがウィープする。間奏では重量感のあるリードギターのソロと、その重みを支えるようなリズムギターとが主役となり、後半部分からはツインギターに変わってキーボードが存在感を露わにする。まるでロックバンドがそれぞれのパートを忠実にプレイすれば、このような出来映えになることをアピールしているかのようなサウンドである。それ故この演奏は、メンバーによるものではなくスタジオ・ミュージシャン達の手によるものではないかという物議を醸し出した。一部のリスナーの間では、「マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のギターソロがハリスンではなくクラプトンであったことに準えて、この曲のギタリストは井上堯之ではないかという憶測も飛び交った。後になってキーボード奏者がミッキー吉野であったことが明らかになるが、以後、新生タイガースはレコーディングばかりでなく、ライブにおいても他のミュージシャンのヘルプを受けることになる。それはテクニックも含めて、グループとしてのサウンドのオリジナリティを競う海外のミュージックシーンに、相反するが如き現象となった。