Page00011969年2月2日、加橋からの脱退の意向を受けて、プロダクション側と残りのメンバーとの間で緊急ミーティングが開かれた。いよいよザ・タイガースが「ジュリーとバック・バンド」に向けて走り出したのだった。この時プロダクション側は、加橋脱退のタイミングをスケジュール上、最も調整のとれ易い3月上旬に決定。結果、5日に渋谷の斉藤楽器でのレッスン中、加橋が突然いなくなるというシナリオを作り、8日、日比谷のピータース・レストランで「加橋除名」の記者会見を開いたのだった。5日の時点で既に後任は岸部の弟シローに決定しており、4人のメンバーは9日からシロー加入に向けてのレッスンのため箱根へ合宿に入る。12日、シローがアメリカから帰国。15日、日比谷帝国ホテルでシロー加入の記者会見を行うという猛スピードで、「新生タイガース」は誕生する。
3月8日、午後4時30分から行われた記者会見では、渡辺プロの松下制作部長から次のような内容で、加橋除名の発表がなされた。
1.3月5日、アルバムのレッスン中に突然、加橋がいなくなった。
2.8日になっても何の連絡もない。プロダクションとしては四方八方手を尽くしたが、行方が分からない。
3.関係先には病気であることを理由に待って貰っていたが、これ以上迷惑をかける訳にはいかないので、加橋をグループから除名する。
また加橋には過去三回失踪歴があり、契約不履行で許し難いことも付け加えられたのだった。あたかもプロダクション側が被害者であるが如き発表であったが、1962年に当時大人気だった坂本九がダブル・ブッキングが原因で誘拐騒動が起こったように、今回の失踪事件も誘拐の可能性が考えられたはずであった。だが報道陣側が敢えてそれに触れず、この茶番劇に付き合っていたのは、目の前で沈痛な表情を浮かべている4人のメンバーのコメントをトップ記事にしなければならないからだった。
4人は、それぞれに用意されていたコメントを報道陣に向けて発表した。
岸部「あいつが芸能人として、いちばん大切な仕事をすっぽかしたことは許せない。なぜ消えなくちゃならないのか?」
沢田「僕と彼の性格は両極端かも知れない。僕は時間をきちんと守らなくちゃいやでしたが、彼は反対でした。それに彼は、自分の好きなことしかやらない男です。彼のような人間を芸術家タイプというのだったら、僕はありふれた普通の人間でしょう。でも、それでも社会人として絶対必要なことでしょう。彼は、たとえどんな理由にしろファンを裏切ったことは事実です。」
森本「いつも彼の進歩的な考え方は、それなりに尊敬してました。リードギターで、ハイテナーの彼がいなくなればショックです。彼は理想を追う男で、それが今日のような結果になってしまったのです。」
瞳「軽率な行動だといわれても仕方がないと思います。メンバーの中で僕が、いちばん彼を理解していたつもりだったのですが、こんな形で別れるのは、やりきれない気持でいっぱいです。」
リーダーとしての威厳を見せる岸部。自分は「凡人」だと謙虚さを見せつつも、ファンを裏切った加橋とは対極であることをアピールする沢田。重苦しい雰囲気の中で会見は続いた。
彼等がブームの頂点に登り詰めた時から、この日の到来は十分に予測出来た。だがこの「加橋除名劇」は、グループ内に更なる亀裂を生むことになった。この日の記者会見を境に「陽気なドラマー」を演じ続けていた瞳みのるの顔から、「抜けるような笑顔」が消えたのだった。