1969年は「熱狂の60年代」が終わりを告げる年となった。
「熱狂の時代」の終わりは「若者の時代」の終わりでもあった。
そして、それを象徴するかの如く、この年ブームの終焉を迎えたのは「学生運動」と「グループサウンズ」だった。
「学生運動」と「グループサウンズ」−。若者達が巻き起こしたムーブ・メントに違いはないのだが、一見合い交えることのない、いやむしろ対極と思われるこの二つに共通したキーワードは「反体制」だった。
「学生運動」が体制に「NO」と言ったのに対し、NHKを始めとする体制側から「NO」と言われたのが「グループサウンズ」だったのだ。
前年の国際反戦デーに大敗した「学生運動」は、この年の5月、赤軍派の誕生によりテロリストへと変質し、翌70年3月31日には彼等による「よど号ハイジャック事件」が勃発する。一方で「ノンポリ」と呼ばれた若者達の間では、「フランシーヌの場合」や「昭和ブルース」に描かれた「挫折感」が「無気力・無関心・無責任」の三無主義世代を産み、時代は「昭和元禄」から「ナンセンス」へとその呼称を変える。
そしてこの年、音楽のみならず、若者達のファッションやアートにまで影響を与えていたグループサウンズも、ついにブームの終焉を迎えるのだった。
終焉を招いた原因として、当時の音楽評論家達の間には二つの説があった。
一つは演歌歌手を多く抱えるレコード会社、プロダクションが、一致団結してブームを早く終わらせようと自らGSを粗製濫造し、それによって音楽的にもビジュアル的にもGSのレベルが低下したことが原因であるという説。もう一つは「失神」を売り物にするグループの登場により、GSが「音楽」ではなく、「見せ物」になってしまったことが原因であるという説である。
どちらも当時の事情を明確に言い表した大変興味深い説である。だが、やはりブームの終焉を決定的なものにしたのは、頂点に君臨していたザ・タイガースの中で、ビートルズを原点とした音楽志向とアイドル性とを併せ持った、最も「GS的」と言える男−加橋かつみがグループを去ったことだろう。
感受性の強い加橋がアッシド・フォークを始めとする海外のミュージック・シーンにインスパイアされ、大衆を含め日本のGSのあり方やプロダクションの対応に限界を感じたのは当然の成り行きだった。だがプロダクションサイドにおいても、大衆が求め始めたアイドルは、もはや「グループ」ではなく、「個人」であることに既に気付いていたのだ。お互い反目しあう両者の利害が奇妙に一致したところに、「GSブーム」の幕は下り、「加橋除名」劇=「ジュリーとバック・バンド誕生」劇の幕が上がるのだった。