Page0001タイガースが全盛を極めた要因は数多く挙げられるが、以外と気付かれていない要因の一つに「メンバーの人数」がある。もともと偶数よりも奇数を好む日本人にとって、当時のバンド・スタイルを保つには3人では少なすぎ、7人では多すぎた。5人というのが最も収まりの良い人数だったのだ。テンプターズを始めとする後続のグループ達が、尽く5人編成だったのも偶然ではなかったのだろう。
だがタイガースの人気が突出していたのは、その5人のメンバーが、ビジュアル的に絶妙のバランスで構成されていたからに他ならない。小柄な瞳と加橋、長身の森本と岸部の間に、当時の青年男子の平均身長を少し上回った沢田が居た。グループの顔となる沢田が体格的に丁度中心に位置していたことによって、5人がどのように列んでも常に彼等は「絵」となった。一人一人が強烈な個性を持ちながら、5人揃うと完璧な絵になったのは、このようなバランスの良さによるものだったに違いない。
次に挙げられる要因は、デビュー当初から意図されていた戦略だ。それはレコードとライブとを、全く異なるイメージに仕立てることだった。そのためレコードでは彼等は演奏していないのではないかと言う噂が常に飛び交ったのだが、そんなことはファンにとってはどうでも良い事だった。彼等の演奏を聴きたければ、ライブ・コンサートに行けば良かったからだ。
後のアイドル達がリスペクトする華麗なステージ・アクションを次々と生み出す沢田。軽快なロックンロールナンバー「ジャスティン」でオーディエンスとダンサブルに掛け合う瞳。センスの良いディスコ・ステップでR&Bナンバー「ファ・ファ・ファ」をキメる森本。三人が見せると、加橋、岸部のバラードが聴かせる。「動」と「静」が織りなす独創的なステージ・パフォーマンスは、会場を熱狂の渦へと引き込んで行く。そしてオーディエンスは興奮と同時に、彼等の背後に未だ見ぬ海外のミュージック・シーンを想像したのだ。それは最近話題になっている倖田來未のライブが、ブリトニー・スピアーズやクリスティーナ・アグィレラのプロモを見飽きた者にとって、何の驚きも感じないのとは対照的な「新鮮な感動」だった。
このようにタイガースのライブは、彼等の魅力を語る上で外すことの出来ない重要な要素だったのである。それ故加橋が唯一評価し、また我が国GSのエポックとなった「ヒューマン・ルネッサンス」は、ファンから見れば決して彼等の「全て」ではなく、「モナリザの微笑」や「花の首飾り」で見せたクラシカルな一面をコンセプチュアルにまとめた作品に過ぎなかったのであり、グループとしての到達点でもなければ着地点でもなかったのだった。
アルバム発表の翌年、1969年1月の14日から20日にかけて行われた日劇ウエスタン・カーニバルで、彼等は「青い鳥」「朝に別れのほほえみを」「帆のない小舟」「割れた地球」の4曲のみを演奏する。レコードとは異なるステージを戦略としていた彼等にとって、全曲アルバムからのピックアップは、カーニバル初の試みでもあった。だが彼等がアメリカ帰りということもあり、今まで以上に意外性のある独創的なステージを期待していたファンの反応は、マスコミが報じた如くステージの内容ではなく、ヒッピーをイメージした彼等の衣装に向けられたのだった。
彼等が意図したものと、ファンとの間に僅かな距離が出来始めていた。今と違い情報が圧倒的に少なかった当時において、彼等が意図したステージが受け入れられるには、未だ多くの時間が必要だったのだ。その時を待つことを拒絶した加橋はグループを去った。だが彼の選択は、当時の大衆の目には「覇者の奢り」としか映らなかったのだった。