ザ・タイガースの代表曲として1曲選ぶとすれば、どの曲が選ばれるだろうか?
彼等を人気の頂点に押し上げた「君だけに愛を」か?当初のGSの概念に倣ってメンバーの作った自作自演曲「青い鳥」なのか?はたまた記念すべきデビュー曲「僕のマリー」か?
タイガース・ファン一人一人によってその1曲は違うのだろう。
だが彼等がリリースしたシングルのうち、最も多く売れた曲は1968年3月25日(15日という説もあるが)に発売された「花の首飾り」だった。
この曲は彼等にとっても、また日本のアイドル・グループにとっても初のオリコン・チャート第1位を達成するビッグ・ヒットとなった。
したがってレコード・セールスのみで彼等の代表曲を選ぶとすれば、間違いなくこの「花の首飾り」が選ばれるだろう。だがこの曲は、もともとはカップリングの「銀河のロマンス」のB面として作られたものだった。月刊明星が「タイガースの唄う歌募集」のキャンペーンを1968年1月号と2月号で行い、130,543通の応募の結果、北海道の19才の学生菅原房子さんの作った歌詞が選ばれ、その歌詞になかにし礼氏が補作したのがこの「花の首飾り」だった。
一方「銀河のロマンス」は彼等の初の主演映画「世界はボクらを待っている」の主題曲で、歌詞の中にもヒロインの名前が登場し、劇中で何度も繰り返し歌われていた。後年すぎやまこういち氏は彼等の楽曲を、デビュー曲から組曲にしようと考えていたと言っていたが、「僕のマリー」に始まり、この「銀河のロマンス」に至るまで、バラードとテンポアップする曲とが交互に置かれていたのだった。
オリコン・チャートに登場したとき、この2つのタイトルは「銀河のロマンス/花の首飾り」と両A面の如くに表記されていたが、順位が上がるに連れて「花の首飾り」と表記されるようになった。つまり、いつのまにかこのシングル・レコードのA面は「花の首飾り」になっていたのだ。
専門家達に言わせれば、「両曲の出来があまりにも違いすぎた為」らしいが、はたしてレコードを買いに来た客の全てが「花の首飾り」を聴かんが為であるとは言い切れないだろう。この曲をA面扱いにしたのは、楽曲の出来映えよりも、もっと戦略的な要因があったからである。
まず一つはGSに対する社会的なバッシングを避けるため。もはやタイガースはGSの代名詞となっていたため、彼等の楽曲は社会的、いわゆる大人社会が納得するようなテイストを持ったものにすることが理想だった。彼等のコンサートで加橋が「ホリディ」を歌うとき、それまでの嬌声は止み水を打ったように場内は静まる。「花の首飾り」はまさにそのイメージであり、GSは単に少女達を煽り乗せるだけではなく、静かに聴かせることも出来るのだと言うことを社会に向けてアピールすることだった。
もう一つはタイガースそのもののグレードアップだった。既に彼等はGSでは他のグループの追撃を許さない程の人気者になっていたが、その人気は沢田一人に集中していた。熱狂的なファンの間では、沢田と瞳がグループの人気を二分していたのだが、世間的にはタイガースの「顔」はやはりリード・ボーカル「沢田研二」だった。そこへ「第2のボーカリスト」加橋をフューチャーすることで、人気の幅を拡げようとしたのだ。事実この曲のヒットでそれまでのアイドル雑誌のグラビアが沢田と瞳のツー・ショットばかりだったのが、加橋にもスポットが当てられるようになる。
後年この「花の首飾り」について沢田が語ったことがある。1976年2月21日に放送されたラジオ番組「オールナイト・ニッポン」で、彼はこの曲のヒットは自分にとって「非常に屈辱的だった」と言っていた。自らが歌った「銀河のロマンス」が当初A面であったのに、レコードが売れ始めると「花の首飾り」に取って代わられたのは、相当ショックな出来事だったらしい。
ザ・タイガースというグループのパワーの本質を考えたとき、この「花の首飾り」の異常なヒットは、彼等にとって果たしてプラスに働いたかどうかは疑問だ。
だが、この曲のヒットによってタイガースの知名度が、より高まったことには違いはない。
以後、あちこちで「長髪のタイガースは嫌いだが、『花の首飾り』は好きだ」という声を耳にした。それはあたかも「ビートルズは嫌いだが、『イエスタディ』は好きだ」というワカッテナイ大人達の声とダブって聞こえた。そう言えば「イエスタディ」も日本でシングル・カットされた時はカップリングの「アクト・ナチュラリー」のB面だったっけ。