ザ・タイガースほど、その人気の凄さが引き合いに出されるグループも数少ないだろう。
少し前にはSMAPと比較され、「いや当時のタイガースに較べたら・・・・」などと自慢気に語るオジサンやオバサン達をよく見かけたものだ。
彼等が「伝説」を創った時代と今とでは、アイドル・スターを取り巻く環境があらゆる面で全く違うため、ジュリーとキムタクとを単純に比較することは不毛の議論と言えるかも知れない。しかしザ・タイガースが残した数々の快挙は、全てが日本のロック・グループとして初めて成し得たことばかりであり、後のアイドル・スター達が自らの偉大さを証明するために挑まねばならない儀式となったため、彼等の存在は「伝説」となったのである。そしてその「伝説」は、1968年というたった一年間に凝縮して創られた。だがこの1968年こそが、昭和の中でエポックとなる「昭和元禄」と名付けられた年だったのだ。
この1968年の出来事を時系列で見ると
1月 アメリカ原子力空母エンタープライズが佐世保に入港
2月 金嬉老事件
3月 南ベトナム・ソンミ村大虐殺事件
   東大安田講堂が学生達によって占拠
4月 マーチン・ルーサー・キング牧師暗殺
   霞ヶ関ビル竣工
6月 小笠原諸島が日本に復帰
7月 第8回参議院議員選挙
   全国区第1位・石原慎太郎/第2位・青島幸男
8月 チェコ動乱
10月 第19回オリンピック・メキシコ大会開催
   新宿で学生や市民のデモが激化「騒乱罪」適用
12月 三億円事件
そして川端康成氏にノーベル文学賞が贈られる。
ベトナム戦争、学生運動、参議院選挙といった政治的色彩を背景に、オリンピック・メキシコ大会、ノーベル文学賞とスポーツ、文化が彩りを添え、「日本の謎」となった三億円事件が起きる。なんとゴージャスな年なのだろう。1968年は二十世紀の世界を、そして昭和の日本を語る上において外すことの出来ない一年だったのだ。
一方芸能界に目を転じれば、タイガースを中心とするグループサウンズは勿論、あらゆるジャンルの楽曲がヒット・チャートを賑わせていた。タイガース以外のアーチストのヒット曲を見ると
「帰ってきたヨッパライ」フォーク・クルセダース
「ケメ子の唄」ダーツ
「恋のしずく」伊藤ゆかり
「虹色の湖」中村晃子
「エメラルドの伝説」ザ・テンプターズ
「天使の誘惑」黛ジュン
「ゆうべの秘密」小川知子
「小さなスナック」パープル・シャドウズ
「長い髪の少女」ゴールデン・カップス
「ラブ・ユー東京」ロス・プリモス
「伊勢佐木町ブルース」青江三奈
「星影のワルツ」千昌夫
「ガール・フレンド」オックス
「恋の季節」ピンキーとキラーズ
「今は幸せかい」佐川満男
「花と蝶」森進一
「グッドナイト・ベイビー」キング・トーンズ
フォークあり、和製ポップスあり、ムードコーラスあり、演歌あり、チビッ子のアイドルありと、まさに歌謡界は百花繚乱の様相を呈していた。そして秋には長寿番組となる「夜のヒットスタジオ」が始まり、MCの前田武彦が人気者になる。またこの年、大ブレイクしたコント55号は、萩本欽一がGSと同様の黄色い声援を浴び、従来の「お笑い芸人」のコンセプトを大きく塗り替えたのだった。
まるで芸能文化の集大成が成されたような1968年。
だがタイガースが巻き起こした快挙の前には、全てが霞んで見えたのだった。