ザ・タイガースの真相

2005年10月、完全復活を願ってブログを始めましたが、ようやくその願いが実現しました。 タローは音楽の総責任者です。「タイガースのテーマ」のダンスの時、皆の脚がちゃんと挙がっているかを振り向いてチェック! トッポはステージ衣装からグッズのTシャツまで、全てのデザイン担当。牧師ルックは1968年・秋のウエスタンカーニバルを思い出します。 ピーは長いこと中国に監禁されてた?(笑)いやいや日中友好の懸け橋となって活躍しています。 サリーはグループの重しです。イットクけど、サリげなく・・・・ね。 沢田研二は沢田幹事。大阪で美味しいもん、ぎょうさん食べてってや!

今から遡ること48年前の1970年5月9日。大阪万博開催直後の万博ホールで人気歌手を一堂に集め、「全国ヤング歌謡フェスティバル」と題する一大イベントが開催された。手掛けたのは、当時刃向うものなしの渡辺プロ。このフェスティバルでは事前に出場歌手の人気投票を行い、そ ...

 1970年8月22日、タイガースは田園コロシアムでライブ・コンサートを行った。その5ヶ月後には武道館で解散コンサートを行っているので、このライブはさしずめその予行演習のようなものだったのだろうか。エンディングの挨拶で沢田研二は、この日のライブにこんなに大勢の ...

加瀬邦彦氏が亡くなった。報道では自らその人生の幕を降ろされたということだが、その死は悔やまれてならない。 加瀬氏は、その余りある才能で、我が国のミュージック・シーンを牽引した。 清野太郎率いるキャノン・ボールでロカビリアンとしてスタートを切ってから、スパ ...

第1部(18時30分〜19時30分) ☆ドゥ・ユー・ラヴ・ミー ☆サティスファクション ☆ノーウェアマン ☆ジョーク ☆ユーヴ・ゴット・トゥ・ハイド・ユア・ラヴ・アウェイ(ピーがジョンのリバプールハットを被って) ☆イエロー・リバー ☆テルミー(イットクけど、サリ ...

2012年12月25日、京都テルサにて”瞳みのると過ごす、新年を迎える年の瀬の「ひととき」”が行われた。 会場からのファンの質問にピーは「ザ・タイガースの完全復活は来年の12月」と答えた。 ...

  ファンにとって、いやファンのみならずザ・タイガースというグループをよく識る者にとって、2011年9月8日東京国際フォーラムを皮切りに始まった「沢田研二LIVE2011〜2012」は、かつてない驚きと期待と興奮によって迎えられたはずだ。 1971年1月24日の日本武道館での解散コ ...

東北地方太平洋沖大地震におきまして被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申しあげますとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し謹んでお悔やみを申しあげます。 最初はインタビュー形式にするつもりだった。 瞳みのる著「ロング・グッバイのあとで」49頁に登場 ...

文芸社より「ボクはロックンローラー」(定価1,365円)を出版しました。 3月より全国書店、amazon.com、セブンネットショッピング(www.7netshopping.jp)で注文受付開始です。 内容は1960年代の大阪の下町を描いた小説です。 ふろくに1960年代に明星、平凡、ミュージック・ラ ...

レコード大賞受賞以降、沢田のステージはますますビジュアル重視となってゆく。ファンは彼が新曲を発表する度に、どんなメイクで、どんな衣装で、どんな振付で登場するのか、絶えず期待に胸をふくらませた。普通の歌手が年に一度、紅白歌合戦で披露するパフォーマンスを、沢 ...

「僕のマリー」から10年、沢田研二は「勝手にしやがれ」で1977年の音楽賞を総ナメにし、大衆音楽のキングの座に着いた。沢田はまるで魔法をかけるように、与えられた楽曲を独自の存在感のみで大衆に受け容れさせたのである。それはロック・シンガーとして古典的なボーカル・ ...

ザ・タイガースがGSの頂点に登り詰めた頃、マスコミは「ブルー・コメッツとスパイダースが敷いた線路の上をタイガースが走った」と評した。ブルー・コメッツもスパイダースも1960年前後に生まれたグループであり、当初はどちらもロカビリー・ブームに登場したボーカル・プ ...

男前に生まれた者にとって、時として同世代の男達は全てが敵となる。「てめエ、カッコつけやがって!」と正面から切り込んでくる奴は意外と手名付け易いが、始末に悪いのは「いいよナ、お前は」と僻む奴らだ。男の嫉妬は女の数倍恐ろしい。だから本当の男前は無益な争いから ...

戦後大衆音楽の世界で最初のアイドルとなったのは、言うまでもなくクィーン美空ひばりだった。彼女がブームを作った1950年代は、ラジオからテレビへとメディアの覇権が遷る時代で、歌って踊れて芝居の出来る彼女は大衆の人気の的となった。一方、男性歌手においては歌の ...

 ムッシュかまやつが著書「ムッシュ!」の中で「わけのわからないものが突然とんでもないところに出てくるというのが芸能本来の正しいあり方」と書いているように、常に大衆の好奇心を掻き立てるのが芸能の役割であった。  だがグループ・サウンズが登場した当時はエレキ ...

1960年代を通じて、マスコミを賑わせた言葉に「前衛」というのがある。この言葉の意味はWikipediaによると  「avant-garde(アバンギャルド:フランス語)の和訳。本来は軍事用語で「最前線」の意。現状に対して変革を志向し、時代の先端に立とうとするような立場・姿勢 ...

●1968年  1月 1〜 3日 ジャズ喫茶出演。     9日 渡辺プロ新年会。    10日 ウエスタン・カーニバル打合せ。    15〜22日 日劇「ウエスタン・カーニバル」に出演。    27日 渋谷公会堂で労音主催の「タイガース・ショー」開催。 ...

●1965年  1月 3日 岸部宅で新年の顔合わせ(岸部、森本、加橋、瞳)。     5日 大阪フェスティバルホールにてベンチャーズ鑑賞。    10日 バンド結成の話が出る。  5月 7日 森本宅にある踊りの稽古場で初めてのレッスン。  6月 4日 加 ...

★グループ別人気投票 週 刊 明 星/1968年3月31日号 1位 ザ・タイガース 104,106 2位 ザ・スパイダース 72,434 3位 ブルー・コメッツ 59,060 4位 ザ・ワイルド・ワンズ 43,835 5位 ザ・テンプターズ 42,977 6位 ヴィレッジ・シンガ ...

AQさんより次の情報を頂きました。 武道館の前座には「ルビーズ」と「キングス」の2組が出演したそうです。 下のアドレスのHPに、元「ルビーズ」の二人のギタリストのインタビューが載っていました。 タイガースの前座をつとめた武道館や地方公演など、タイガースファ ...

ACBさんから次の情報を頂きました。 『タイガースの前座では他に「ザ・ルビーズ」が1968年の武道館公演の前座をつとめたはずです。キーボード担当は沢田謙二(たぶん芸名では?)出身地はわかりません。』 ACBさん、ありがとうございました。 ...

ボンボンたぬきさんから以下のコメントを頂きました。 「質問ってより、人探しの為にここへ着ました。 教えてほしいんですが、ザ、タイガースの前座勤めた人ってどのくらのグループがいますか?  出来たらエレクトーン担当だったかたが知りたいんです。かなり過去を話せ ...

1971年7月21日、PYGの第二弾シングル「自由に歩いて愛して」がリリースされる。この曲はオリコン・チャート最高位24位と前作を上回るが、スーパー・グループとして期待された結果からは程遠く、彼等はまるでミュージック・シーンからスポイルされたかのように、急速にその ...

「時代の覇者は次代の覇者にはなれない」というマーケティングのセオリーを具現化するかのように、GSの覇者達は次のブームの覇者にはなれなかった。 PYGが踏み込んだニューロックの世界で彼等を待っていたのは、かつての黄色い声援ではなく、野次と罵声と空き缶の襲来だっ ...

ビューティフル・コンサートから遡ること約二週間前の1月11日、日比谷の音楽喫茶「メイツ」で新グループPYGのお披露目記者会見が行われた。 この席上で沢田は「回り道だと言われても、やるだけです。」とその決意を語っている。彼にとってPYGへの参加は、ソロとして独 ...

その日、東京は久々の小春日和に包まれていた。 1971年1月24日、日曜日。 「ビューティフル・コンサート」と銘打ったザ・タイガースの最後のステージを観るため、日本武道館の周りには、午後2時からの開場を待ちきれないファンたちが、朝から群れを作っていた。 ...

70年12月7日、日刊スポーツ誌に「タイガース解散」が報じられる。その日、ファンからの問い合わせの電話が殺到する中、ナベプロはマスコミに対し、あくまでも「解散」ではなく、タイガースという器を残したまま、個人活動を優先させる方針であることを発表する。だがこのナベ ...

69年12月15日、沢田にとって初のソロ・アルバム「ジュリー」がリリースされる。これを皮切りに、70年4月には初の単独レギュラー番組「虹のお祭り広場」(この番組の主題歌である「思い出はついてくる」は、作詞を石坂浩二氏、作曲は沢田本人の手によるもの)がスタート、そし ...

1970年3月20日、山上路夫作詞・クニ河内作曲による「都会」がリリースされた。この曲はナベプロ主催の一大イベント「全国ヤング歌謡フェスティバル」の参加曲としてプロモートされる中、かろうじてオリコン・チャート10位にランク・インする。その「全国ヤング歌謡フェスティ ...

1970年3月15日、東京オリンピックに続く我が国最大の国家イベント「EXPO70/大阪万博」が開催された。戦後の著しい経済成長の延長線上に到達したこの一大イベントによって、日本は欧米諸国と肩を並べる近代国家の一員となったのだった。 だがそのテーマとなった「人類の ...

アイドル」という言葉が日常的に使われ始めたのはいつ頃からか定かではないが、その定義が「スター」や「アーティスト」よりも、大衆にとってより身近な存在を意味するものであることには論を待たないだろう。 ザ・タイガースにあって、さしずめ沢田が「スター」であり、加 ...

岸部四郎の加入によって表向きは順調なスタートを切った新生タイガースだったが、グループ内の亀裂はもはや修復不可能となっていた。加橋除名のやり口に激怒した瞳は、加橋がパリに飛び立った2ヶ月後の5月、自らもヨーロッパ行きの旅券を手配する。思えば1964年、エンスト ...

「美しき愛の掟」は売上枚数こそ前作の「青い鳥」に及ばなかったが、オリコンチャートでは同様に4位をキープし、新生タイガースはまずまずのスタートを切った。 大衆が彼等に注目している間に、プロダクションは次々と企画を打ちだしていった。明治製菓とタイアップしたピ ...

1969年4月5日、新生タイガースの第1弾シングル「美しき愛の掟」がリリースされた。このドラマチックなタイトルを持つ楽曲は、作詞をなかにし礼氏、作曲を村井邦彦氏が担当した。「ヒューマン・ルネッサンス」ではなかにし氏はすぎやまこういち氏と、村井氏は山上路夫氏と組 ...

「スター、それも石原裕次郎、三船敏郎、美空ひばりという大スターは、いっぺんに五人もできない。ひとりでも、タレントとして備わった素質や風格というものが、最後にものをいう。そういったところからタイガースをみてみると、ジュリーしか大スターの素地や未来性を持った ...

1969年2月2日、加橋からの脱退の意向を受けて、プロダクション側と残りのメンバーとの間で緊急ミーティングが開かれた。いよいよザ・タイガースが「ジュリーとバック・バンド」に向けて走り出したのだった。この時プロダクション側は、加橋脱退のタイミングをスケジュール上 ...

1969年は「熱狂の60年代」が終わりを告げる年となった。 「熱狂の時代」の終わりは「若者の時代」の終わりでもあった。 そして、それを象徴するかの如く、この年ブームの終焉を迎えたのは「学生運動」と「グループサウンズ」だった。 「学生運動」と「グループサウンズ」 ...

1960年代の日本のミュージック・シーンを大雑把に眺めてみると、「カバー・ポップス」「青春歌謡」そして「グループサウンズ」の三つのムーブ・メントに大別することが出来る。まず61年から63年前半にかけてブームとなったのが「カバー・ポップス」だ。アメリカン・ポップス ...

タイガースが全盛を極めた要因は数多く挙げられるが、以外と気付かれていない要因の一つに「メンバーの人数」がある。もともと偶数よりも奇数を好む日本人にとって、当時のバンド・スタイルを保つには3人では少なすぎ、7人では多すぎた。5人というのが最も収まりの良い人 ...

タイガースにとって、また我が国GSにとって、初の全曲オリジナル・トータル・コンセプト・アルバム「ヒューマン・ルネッサンス」が1968年11月25日にリリースされた。 このアルバムの中から先行シングルとして10月5日に「廃墟の鳩/光ある世界」がリリースされ、そのキャン ...

GSがジャパニーズ・ポップスのルーツと言われる所以は、三つの要素に集約される。 まず一つは「聴かせる」要素。 自らが歌い、演奏できる技術を持っていると言うことだ。 その草分けは、尾藤イサオや鹿内タカシ、ジャニーズ等のバックバンドを務め、抜群のアンサンブル ...

ザ・タイガースの代表曲として1曲選ぶとすれば、どの曲が選ばれるだろうか? 彼等を人気の頂点に押し上げた「君だけに愛を」か?当初のGSの概念に倣ってメンバーの作った自作自演曲「青い鳥」なのか?はたまた記念すべきデビュー曲「僕のマリー」か? タイガース・ファ ...

GS人気を煽るように、1968年はアイドル雑誌が競って「人気投票」を行った。 主立ったアイドル誌の投票結果を挙げると 週刊明星/1968年3月3日号 (グループ) 1位 ザ・タイガース104,106 2位 ザ・スパイダース72,434 3位 ブルー・コメッツ59,060 4位 ザ・ワ ...

−暮れかかった後楽園スタジアムの上空に花火の炸裂する音が、雷鳴のようにとどろきわたった。 8月12日午後6時30分−ファン待望の夢の祭典「ザ・タイガース・ショー」の幕開きである。 この日の東京地方は、四国沖に停滞する台風の影響で、あいにくと雨模様。だが、開幕2,3 ...

1967年12月25日、彼等の伝説の扉を開く第4弾シングル「君だけに愛を」がリリースされた。 この曲はイントロが前作の「モナリザの微笑」を思わせるマイナーなスロー・バラード。ギターとドラムが入った後、突然曲調がミディアム・テンポに一変する。ステージングではイントロ ...

ザ・タイガースほど、その人気の凄さが引き合いに出されるグループも数少ないだろう。 少し前にはSMAPと比較され、「いや当時のタイガースに較べたら・・・・」などと自慢気に語るオジサンやオバサン達をよく見かけたものだ。 彼等が「伝説」を創った時代と今とでは、アイ ...

1967年5月5日、タイガースは2枚目のシングル「シーサイド・バウンド」をリリースした。 この曲は「バウンド」というリズムを取り入れ、フロントの4人が間奏のところでそのステップに乗って踊るもので、「シャボン玉ホリデー」や「ヤァヤァヤング」など既にレギュラー番組を持 ...

1966年12月1日、彼らの記念すべきデビュー・シングル「僕のマリー」がレコーディングされた。 この年は、加山雄三の「君といつまでも」が大ヒットし、若大将ブームが起こるが、一方でビートルズやベンチャーズの影響を受けた若者達がエレキバンドを作り、彼等によってジャ ...

ナベプロの戦略によって、僅か2年でグループとしての存在意義を喪失してしまったザ・タイガース。 しかし彼等が巻き起こした爆発的な人気は、決してプロダクションによって作られたものではなかった。むしろ彼等の人気が出たことで、ナベプロは彼等をコントロールし始めた ...

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